公立小学校の名物教師が旅する「東南アジア学校訪問記」。「どんな状況でも人は慣れる」とは【西岡正樹】
西岡正樹の「東南アジア学校訪問」〜ベトナム編
■ホテルの穏やかな空間から路地を一歩出ると、異国人となった自分と出会った
私はハノイに来てから毎日旧市街地に行った。ホテルの穏やかな空間から路地を一歩出ると、ツンと鼻を刺す臭いに意識を奪われ、凸凹の道に散らばるゴミを見て「どうして掃除しないのだろう」と思う。やはり、私は異国人なのだ。路地を出て左に曲がり、100mほど歩くと旧市街地に向かう道へと右折し、ガードをくぐる。すると、さらに大きな混沌が、目の前に広がる。ここでは、「汚い」という言葉の使い方に困る。私が感じる「汚い」は、きっと、目の前にいる人たちの「汚い」とは違うのだろう。
ハノイ滞在三日目の夕方、私は「バインミー」(ベトナム風サンドイッチ)を買うために旧市街地へ足を運んだ。いつものように右折しようとしたのだがなかなか動き出せない。ガード下から見えた風景に思わず足が止まった。狭い通りにはバイクがびっしりと並び動こうにも動けない。群れのように集まったバイクがどのように交差しているのか、私には分からない。そんな群れの中に、後から後からやってくる人やバイク、そして車が容赦なく突き進んでいく。
ちょうど学校が終わる頃なのか、学校の前に「人だかり」ができ、立ち話をしている様子が目に入った。このような状況になっても、人々の動きは変わらない。それが、この混雑に拍車をかけているというのに、誰も気にしていない。ただ、けたたましくクラクションが鳴り響いている。
これは「カオス」だ、と私は心の中で自分に言い聞かせる。しかし、目の前にいる人たちは自分がカオスの中にいるなんて思ってもいないだろう。一人ひとりは自分のリズムで動き、思いを正直に表出しているにすぎない。それが絡み合うことで混乱が生じているのだが、混乱の中にいる人たちは自分のペースで動いているのだから何の問題もない。
しかし、不思議なものだ。常識的な日本人の私でさえ、この中に入ると一瞬解放感のような心地よさを抱くときがあるのだ。それは万能感に近いのかもしれない。人と車とバイクが行き交う交差点を侵入する時、私は何の躊躇いもない。向こう側に行きたいから行くのだ。
「人は慣れる」
どのような状況に置かれようとも人は慣れる。ハノイに来てたった3日しか経ってない。郷に入れば郷の中で生きていくしかない。慣れなければここで生きていけないからだ。
異文化の中で過ごす時間はストレスだ。しかし、人はストレスの中で活性化される感覚がある。異文化の中にいると、自分の中にあって活かされていない何かが目覚めることがある。異国を旅するということはそういうことなんのだろう。
私は小さな戸惑いを繰り返しながら、これから新しい異国人になっていく。
文:西岡正樹
※西岡正樹の「東南アジア学校訪問記」をYoutube番組「まさき・りょうたのカブで旅するチャンネル」でリアルタイムで配信中です!ご覧くださいませ!https://www.youtube.com/@masakiryota
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